銀座千疋屋 銀座ストレートジュース
銀座千疋屋「銀座ストレート ジュース」。
千疋屋と言えば果物ですが、ストレートジュースは人生初でした、、。。
そもそも千疋屋って、。
今回商品の名前を見て気になったのが、「銀座千疋屋」と書かれていました、。
そう言えば「京橋千疋屋」なども聞いたことはあるものの、関係性がよく分からなかったので
改めて調べてみました、。
最初の千疋屋は今から186年も前、。
今から186年前の江戸時代後期 1834年(天保5年)
大島弁蔵という侍が国埼玉郡千疋村(現在の埼玉県 越谷)で大島流槍術の指南をしていました。
当時は飢餓などで生計を立てることが厳しかった様ですが、どうにか稼いで生活して行くために
江戸・葺屋町(現・日本橋人形町3丁目)へ越谷から船を使って果物や野菜を積み込み、運んだそうです。
そして「水菓子安うり処」の看板を掲げ、地名にちなみ“千疋屋”の屋号で果物と野菜類を商う店を構えたそうです。
当時は水路が確保されていた様ですが、普通に歩いて6時間程。
大量の野菜や果物を運ぶには水路があることは好条件だったことでしょう。
最初の千疋屋は今から186年も前、。
今から186年前の江戸時代後期 1834年(天保5年)
大島弁蔵という侍が国埼玉郡千疋村(現在の埼玉県 越谷)で大島流槍術の指南をしていました。
当時は飢餓などで生計を立てることが厳しかった様ですが、どうにか稼いで生活して行くために
江戸・葺屋町(現・日本橋人形町3丁目)へ越谷から船を使って果物や野菜を積み込み、運んだそうです。
そして「水菓子安うり処」の看板を掲げ、地名にちなみ“千疋屋”の屋号で果物と野菜類を商う店を構えたそうです。
なので始まりとなった現在の日本橋に総本店があるのですね、。
京橋と銀座
千疋屋総本店三代目・代次郎の妹キヨが谷治郎吉と言う番頭(いわば店長ですね、、)に嫁ぎ、
二代目当主(文蔵)の了承を経て、暖簾分けをすることになりました。
キヨさんも治郎吉さんも二代目当主からの信頼が厚かった様です、。
そこで1881年(明治14年)に出来たのが京橋千疋屋でした。
そして、当時千疋屋総本店の番頭であった齋藤義政が1894年(明治27年)に「銀座千疋屋」を出店。
いわばそれぞれ暖簾わけをしたお店なんですね、。
パッケージ
今回商品は6つのストレートタイプのジュースが180ml(約一人分)のビンに分けて入っていました。
ただし、味の種類は5種類で「みかん」「ぶどう」「りんご」「グレープフルーツ」は各1本なのですが
「パイナップル」だけ2本入っています。
商品の説明書をみると、砂糖、香料は加えていない様なので、果物のそのままの味が楽しめそうです。
味・香り
果実の甘みと香りがありつつも、それほど重くはなく後味は清涼でした。
過去飲んできたストレートジュースのイメージは、結構果実の濃さやくどさが最後に残る様なイメージだったのですが、それが無いと言うことは、本当にいい部分だけを使用しているのかもしれません。
さすがは千疋屋、。
これから暑くなる季節にはぴったりの品かもしれません、。
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